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東京高等裁判所 昭和31年(ネ)545号 判決

控訴人 国 外一名

国代理人 田中瑞穂 外二名

被控訴人 団野まん

主文

原判決を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴人等訴訟代理人は、主文と同旨の判決を改め、被業人訴訟代理人は当審において請求を変更し、「原判決を次のとおり変更する。一、控訴人大塚辰男は被控訴人に対し、(イ)千葉県市川市須和田字弁財天二百六十三番の四宅地五十三坪五合につき千葉地方法務局市川出張所が昭和二十五年七月一日受付第三三九二号を以てなした昭和二十四年三月二日自作農創設特別措置法第二十九条に基く売渡に因る所有権取得登記、(ロ)同所二百六十三番の五宅地四坪二合五勺につき同出張所が昭和二十五年七月一日受付第三三九三号を以てなした昭和二十四年七月二日同法第二十九条に基く売渡に因る所有権取得登記の各抹消登記手続をなすべし。二、控訴人個は被控訴人に対し、前記(イ)記載の宅地につき同出張所が昭和二十五年七月一日受付第三三六五号を以てなした昭和二十四年三月二日同法第十五条に基く買収に因る所有権取得登記及び前記(ロ)記載の宅地につき同出張所が昭和二十五年七月一日受付第三三六六号を以てなした、昭和二十四年七月七日同法第十五条に基く買収に因る所有権取得登記の各抹消登記手続をなすべし。」との判決を求めた。

被控訴人訴訟代理人は、請求の原因として

請求の趣旨記載の各宅地は被控訴人の所有であるところ、控訴人国は右(イ)の宅地につき昭和十四年三月二日買収の時期とし、右(ロ)の宅地につき同年七月二日買収の時期として、いずれも自作農創設特別措置法第十五条の規定による買収処分をなし、かつ、各買収処分後直ちにそれぞれこれ同法第二十九条規定により控訴人大塚辰男に売渡し、昭和二十五年七月一日請求の趣旨記載のとおり右各買収及び売渡に基く各所有権取得登記をなした。しかしながら、右各買収処分は、次の各理由により無効であり、従つてこれに基く右各売渡もまた、無効である。

第一、右各買収処分は被控訴人の夫団野忠七郎に対し、同人を所有者としてなされたが、同人は右各宅地の所有者ではない。右各土地は、被控訴人が昭和十一年九月二十一日実父田中政吉から贈与され、同日その登記を経た被控訴人の所有財産であるから、団野忠七郎に対してなされた右各買収処分は被控訴人に対してはなんらの効力も生じない。

第二、右各買収処分は、その前提たる買収計画につきなされた訴願に対しいまだ裁決のなされない間に行われたものであるから、無効である。すなわち、右各宅地につき昭和二十三年九月市川市農地委員会が買収計画を樹立したので、団野忠七郎は、同月十三日同委員会に対し異議の申立をしたところ却下の決定を受けたので、同月二十四日千葉県農地委員会に対し訴願をした。しかるにいまだこれに対する裁決がないのにかかわらず、千葉県知事により前記のような買収処分がなされたものであるから、右各買収処分は無効である。

第三、右各買収処分は、買収申請の資格のない者の申請に基いてなされたものであるから無効である。すなわち自作農創設特別措置法第十五条の規定により宅地を買収するには、買収申請者がその宅地につき賃借権その他同条第一項第二号に掲げる権利を有することが必要であるところ、前記買収の申請をした控訴人大塚辰男は、右各宅地につき賃借権その他の権利を有しない。すなわち右各宅地はもと被控訴人から控訴人大塚辰男の父亡大塚辰之助に賃貸してあつたところ、昭和二十一年五月二十日同人の死亡によりその養子である訴外大塚伸三郎が家督相続によつて賃借権を承継したもので、右各宅地の買収申請をした控訴人大塚辰男は賃借権その他の権利を有しない。のみならず、控訴人大塚辰男は糞尿汲取業を営み、その同居の親族大塚伸三郎も早くから会社員となつて文化的生活に親しみ農業に従事せず、控訴人大塚辰男並びにその同居の親族及びその配偶者の主たる所得が、農業以外の職業から得られているので、右控訴人は自作農創設特別措置法第十五条の規定による買収申請をなすべき資格を有しない。従つて同人の申請に基いてなされた前記各買収処分は無効である。

第四、本件各宅地は、前記各買収処分当時はまだ分筆前で市川市須和田字弁財天二百六十三番宅地百二十九坪なる一筆の土地の一部であつたところ、右各買収処分においては、買収の目的物を単に同所同番宅地五十三坪五合及び同四坪二合五勺と表示しただけで、右一筆の土地のうちいずれの部分を買収するかを明らかにしていない。従つて右買収処分は目的たる宅地を特定していないかしがあり、右かしは重大かつ明旨であるから、右買収処分は無効である。

以上のとおり本件各買収処分が無効である以上、その有効なことを前提としてなされた控訴人大塚辰男に対する各売渡通知書もまた無効であり、被控訴人は依然本訴各土地の所有権者たるを失わず右各買収及び売渡に基く各所有権移転登記はいずれも登記原因を欠くものである。

よつて控訴人両名に対し、それぞれ右無効な買収及び売渡に基く所有権取得登記の抹消登記手続を求めると陳述し、控訴人等の抗弁事実を否認すると述べた。

控訴人等訴訟代理人は、答弁として、

控訴人国が被控訴人主張の各宅地につきその主張のような買収及売渡をなし、その登記を経たこと及び右買収処分は控訴人大塚辰男の申請に基き右各宅地が訴外団野忠七郎の所有であることを前提とし、同人を相手方としてなされたことは、いずれもこれを認めるが、右買収及び売渡はすべて適法である。すなわち

第一、右各宅地は買収処分当時までは団野忠七郎の所有であつた。

かりに買収当時右宅地が被控訴人の所有であつたとしても、被控訴人と団野忠七郎とは同居の夫婦であり、右各宅地は外部の者からは団野忠七郎の所有と認められており、控訴人大塚辰男もこれを団野忠七郎の所有と信じて自作農創設特別措置法第十五条の規定による買収申請をなし、市川市農地委員会も、これを団野忠七郎所有と信じて同人に対し右宅地買収の予告をしたところ、同人は、自己が所有者であることは争わず単に控訴人大塚辰男が適正農家でないから買収申請の資格がないとの理由で右買収に異議を申出たに過ぎない。なお、その後買収宅地の範囲について同農地委員会と団野忠七郎及び控訴人大塚辰男との間に互譲妥協が成立したが、その折衝は専ら団野忠七郎の自宅で行われ、その交渉の模様は被控訴人及びその家族等の熟知するところであり、被控訴人その他の塚族からも団野忠七郎を右宅地の所有者として買収の手続が進行していることについてはなんらの異議もなく、調停書にも団野忠七郎が所有者として署名捺印している。右農地委員会においてはこのような経過から団野忠七郎が本件宅地の所有者であることについて全く疑議を持たないで、右互譲によつて定まつた調停の線に従い本件買収計画を樹立しこれに基いて知事による本件買収処分が行わらたものであり、これに対しては団野忠七郎はもちろん被控訴人からも異議の申出がなく、被控訴人は右手続の行われていることを知つて所有権の主張をしなかつたのであるかち(右買収処分にかりに所有者を誤つてなされた違法があるとしても、その違法は明白なものということができない。従つて右は抗告訴訟の理由とはなつても、買収処分を無効ならしめるものではない。

第二、本件買収処分の前提たる宅地買収計画は被控訴人主張の(イ)の宅地については昭和二十三年十二月十五日同(ロ)の宅地については昭和二十四年六月四日それぞれ市川市農地委員会によつて樹立されたもので、右各買収計画は異議訴願の申立がなく確定している。右買収計画に先だち、市川市農地委員会において本訴土地を含む宅地六十八坪につき昭和二十三年九月中買収計画を樹立したことはあるけれども、これは本件買収処分のための前手続としてなされたものではない。かつ又、これに対し、被控訴人又は団野忠七郎から異議ないし訴願があつたわけでもない。もつとも右買収計画に先だち、同委員会から団野忠七郎に対し、右宅地六十八坪の買収の予告をしたところ、同人はこれを買収計画と誤り買収計画樹立前同委員会に対し右予告に対して異議の申立をなし、同委員会においてこれを採用しない旨通知したところ、同人はこれを買収計画に対する異議を却下した決定と誤り、更にこれに対し訴願をするに至つたがこれらはいずれも自作農創設特別措置法にいう異議又は訴願には当らないから裁決をすべき限りではない。かりにこれが同法にいう訴願に該当するとしても、昭和二十三年十一月二十日関係各農地委員会と団野忠七郎及び控訴人大塚辰男等関係者との間に買収宅地の範囲について互譲調停が成立した結果団野忠七郎は右訴願を取下げた。かりに右取下が認められないとしても、昭和二十三年九月中樹立された前記宅地買収計画は、右のように買収宅地の範囲につき関係者の間に調停が成立したのでこれを変更する必要を生じたから市川市農地委員会は、その後これを全部撤回し、改めて本項の冒頭に記載した買収計画を樹立し、これに基いて本件買収処分をしたものであつて、右いずれの点から考えても、本件買収処分には被控訴人主張の第二のような違法はない。

第三、控訴人大塚辰男は唐作農創設特別措置法の規定により買収された農地につき自作農となつた者であり、本訴各宅地は本件買収処分があるまでは右控訴人が賃借権を有していた土地であるから、同控訴人は右宅地につき同法による買収申請をなす資格がある。すなわち、右各完地の賃借権者がもと同控訴人の兄大塚伸三郎であつたことは争わないけれども、同控訴人は昭和二十三年七月中旬頂大塚伸三郎から右地上に在る居宅の所有権とともに右賃借権を譲受け、同年十一月二十日前記調停の成立するまでの間には、団野忠七郎ないし被控訴人よりこれが承諾を得ていた。

かりに同控訴人が右各宅地の上に賃借権を有していなかつたとしても、同控訴人は自ら賃借権者であると信じ、賃借権者としての資格で右各宅地買収申請をしたもので、その時以来本件買収処分に至るまで被控訴人ないし団野忠七郎は同控訴人が賃借権者であることを否認したことなく、同人が賃借権者であることを前提として前記調停にも応じており、同控訴人が右宅地の賃借権者でないということは本件買収手続の各段階を通じ客観的に明白であつたとはいえなかつたのであるから前掲農地委員会が右宅地につき賃借権者の買収申請があつたものと認めて買収計画を樹立し、これに基き知事が買収処分をしたことには、明白なかしがなく、従つて右買収処分は当然には無効でない。

なお、控訴人大塚辰男並びにその同居の親族及びその配偶者の主たる所得が農業以外の職業から得られていたという被控訴人の抗弁事実は否認する。

かりに控訴人大塚辰男の右宅地買収申請に被控訴人主張のような違法があつたとしても、その違法は買収処分の取消原因となることは格別、これによつて買収処分が当然に無効となるものではない。

と述べ、

証拠〈省略〉

理由

控訴人国が被控訴人主張の各宅地につき、これを訴外団野忠七郎の所有であるとして、控訴人大塚辰男の申請に基き旧自作農創設特別措置法第十五条の規定により被控訴人主張のような買収処分をなし、その主張のような登記をしたこと、及び右各宅地につき、被控訴人主張のような売渡手続をして、その主張のとおりの登記をしたことは、いずれも当事者間に争がない。

よつて、以下に右買収処分は有効か無効かについての係争諸点につき逐次検討する。

第一(イ)(本件買収処分には所有者を誤つた違法があるか)成立に争のない甲第一号証の一、二、同第十号証、当審証人団野忠七郎の証言及び当審における被控訴人団野まん本人尋問の結果を総合すれば、右各宅地は被控訴人が昭和十一年九月二十一日その実父亡田中政吉から譲渡せられた被控訴人の所有地であることが明らかであり、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。従つて右名宅地が団野忠七郎の所有であることを前提としてなされた右各買収処分は違法であるといわなければならない。

(ロ)  (所有権者を誤つたことは本件買収処分を無効ならしめるか)成立に争のない甲第六号証、同第七号証の一、二、同第八、第九号証、同第十一号証の一、二、同第十四号証、乙第二、第三号証、同第五号証の一、二、同第六号証、同第九、駅十一号証、当審における控訴人大塚辰男本人尋問の結果により真正に成立したものと認める乙第一号証、当審証人越沢桂太郎、同花沢竹次郎、同松丸正、同矢部実智子、同団野忠七郎の各証言及び当審における控訴人大塚辰男本人尋問の結果を総合すれば、以下の事実が認められる。すなわち、

(1)  本件各宅地を含む宅地六十八坪(分筆前は市川市大字須和田字弁財天二百六十三番地の三の一部)は控訴人大塚辰男所有居宅の敷地で、その亡父大塚辰之助生存中からの賃借地であつたところ、被控訴人方においては、日本国憲法施行に至るまでは団野忠七郎が戸主で被控訴人はその妻としてこれと同居しており、右宅地の地代も昭和二十三年当時まで団野忠七郎が取立てていたので、控訴人大塚辰男は団野忠七郎を以て右宅地の所有者であると信じ、昭和二十三年九月一日旧自作農創設特別措置法第十五条の規定により右宅地の買収の申請をなすに当り、申請書に右宅地六十八坪の所有者として団野忠七郎を表示したこと。(成立に争のない甲第三号証の一、二によれば、控訴人大塚辰男の亡父大塚辰之助は、団野忠七郎とではなく、被控訴人との間に右宅地の賃貸借契約を締結したことが認められるが、控訴人大塚辰男はこの事実にも気付いていなかつたことが前掲各証拠により認められる。)

(2)  市川市農地委員会は、右申請に基き買収計画を樹てようとして、先ず同月十百団野忠七郎に対し、同人を右宅地の所有者を誤つたままで右買収の予告したところ、団野忠七郎は右予告の書面に自己が右宅地の所有者であることを明記してあるにかかわらず、この点の誤は指摘せず、単に控訴人大塚辰男には買収申請の資格がないとの理由で同月十三日同委員会に買収に対する異議を申出で、同委民会から右異議を却下する旨通知を受けたので、前記異議におけると同一理由を挙げて千葉県農地委員会に訴願し、訴願書中には、自己が右宅地の所有者である旨を記載しておいたこと。

(3)  市川市農地委員会が右申請に基き前記宅地六十八坪につき買収計画を樹立したのは同月十五日であつて、団野忠七郎の右異議はこれに先だつてなされたものであるから、右異議も、その却下の通知に対する訴願も、いずれも右買収計画に対する不服方法としては適法ではなかつたが、千葉県農地委員会は、この点は問題としないで、右訴願の申立を受けるや実地について調査することとし、同年十一月中職員を派して市川市農地委員会の委員とともに右宅地に臨み、又控訴人大塚辰男の隣家に当る被控訴人方にも赴いて調査の上、双方の簡に調停を試みたところ、結局買収地の範囲を縮少し、北側控訴人大塚辰男居宅の敷地と南側被控訴人居宅の敷地との境界である生垣の線から、幅員九尺だけ北方控訴人大塚辰男の居宅敷地内に引き下がつた線を以て買収土地の境界線とし、かつ右境界線以南の賃借宅地を昭和二十九年十一月三十日限り右控訴人から団野忠七郎に返還すべき旨の調停の内容を記載した「調停書」と題する書面を作成し、これを団野忠七郎方で示したところ、団野忠七郎、被控訴人及び同席の被控訴人の子実智子もこれを了承し、団野忠七郎は印鑑を同職員に交付して同書面末尾の「所有者団野忠七郎」と記載してある部分の名下に押印させたこと。

(4)  右のようにして最初予定した買収地の区域を縮少する調停が成立したので市川市農地委員会は、さきに樹立した宅地買収計画を撤回し、昭和二十三年十二月十五日改めて同控訴人居宅敷地中右調停により定まつた範囲の宅地(実測坪数は五十七坪七合五勺であるがこれを後記のように誤つて五十三坪五合と表示して)について買収計画を樹立し、この買収計画に対しては団野忠七郎、被控訴人その他何人からも異議訴願等がなかつたので、千葉県知事は、所定の手続を履んで右買収計画どおりの買収処分をなし、団野忠七郎において買収令書の受領を拒んだので、その交付に代えて買収令書記載事項を公告したこと。

(5)  右買収手続においては、前掲買収予告の当時から異議訴願、現地調査及び調停並びに買収令書の受領の催告及び公告の時に至るまで、終始団野忠七郎からはもちろん被控訴人からも右買収宅地が被控訴人の所有であることの主張はなく、関係行政庁においても右宅地が団野忠七郎所有であることを疑う余地のなかつたこと。

(6)  なお、被控訴人は、団野忠七郎との身分関係は前記のとおりであり、本件宅地買収処分当時もこれと同居の夫婦であり、本件宅地買収の予告のあつたことも家人より知らされており、前掲調停の際も在宅してその模様を見ており、買収令書交付のため市川市農地委員会に出頭したのは被控訴人の同居の子実智子であり、被控訴人としては本件宅地買収の行われたことを知らないとはいえない状況に在ること、しかも被控訴人自身としては、以上の買収計画及び買収処分に対して全然所有権の申出、異議、訴願又は訴訟等の手段に出なかつたこと。

以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで旧自作農創設特別措置法による宅地買収処分が、真の所有者であり登記簿上も所有名義人となつている者を無視し、他の者を相手方としてなされた場合においては、その違法たるや重大であつて、本来ならば、真の所有者に対してはなんらの効力をも生じないはずであるが、右認定のように、買収処分の相手方と真の所有者とが同居の夫婦であり、前認定のような事情から買収申請者も関係行政庁も、所有者の夫を以て真の所有者と信じてその者に対して買収の手続を進めたところ、真の所有者である妻もこれ知りながら別段自己の所有権を主張せず、買収の相手方である夫は、他の理由による買収計画に対する異議を述べながら、所有権が妻にあることについてはなんらの主張もなさず、かえつて自ら買収宅地の範囲について行政庁との調停に応じた結果、買収土地の範囲を縮少させることに成功したような事情があり、真の所有者である妻においてはこれらの事情を知りながら買収計画及び買収処分に対する異議、訴願の期間及び出訴期間を徒過したような場合には、真の所有者の不知の間に買収処分が行われたため所有者自ら救済を求める機会がなかつたような場合とは趣を異にし、右買収処分のかしは客観的に明白ということはできず単に当該処分の取消原因となるに止まり、当該処分を当然無効ならしめるものではない。

なお、登記簿上の所有名義人が真の所有者と異なることは往々見るところであるから、登記簿上の所有者が同時に真の所有者であつた場合に、その者を所有者と認めないで他の第三者を所有者と誤つたかしがあるとしてもかような誤認することが必しも無理ないような特段の事情があるときは、そのかしは明白なかしということにならない。そうして上記認定の事実はまさにかような特段の事情に該当するから、本件宅地の所有者が被控訴人であつことが登記簿上明白であつたということによつても、当裁判所の前掲判断を動かすことはできない。

第二、(訴願裁決前の買収処分といえるか)被控訴人は、本件買収処分は買収計画に対する訴願の裁決を経ないでなされたものであるから無効であると主張するけれども、成立に争のない乙第四号証、同第八号証の一、二、同十号証の二、三及び当審証人越沢桂太郎、同花沢竹次郎、同松丸正の各証言を総合すれば、被控訴主張の異議、訴願はその対象が明らかでなく、これを、議訴願者側の利益に解して、本訴宅地を含む前掲六十八坪の宅地につき昭和二十三年九月十五日樹立された前記宅地買収計画を対象とするものと見ても前認定のようにこの買収計画はその後市川市農地委員会により撤回せられ、関係者間に成立した妥協の内容に従い改めて同年十二月十五日樹立せられた買収計画に基いて本件買収処分がなされたものであるから同年九月十五日樹立せられた旧買収計画につき団野忠七郎のなした異議、訴願の効力及び右訴願の取下の有無に関する争点を判断するまでもなく、被控訴人のこの点に関する主張は理由のないことが明らかである。

第三(イ)(控訴人大塚辰男は本件宅地の賃借権者か)被控訴人は、控訴人大塚辰男は本件各宅地の上に買収前賃借権著しなかつたから、同人の申請に基く本件買収処分は当然無効であると主張し、控訴人等は、かようなかしは買収処分の取消事由とはなるがこれを当然無効とするものではないと主張するので考えるに自作農となるべき者においてなんらの権利も有しない宅地を旧自作農創設特別措置法第十五条第一項第二号に該当する宅地と誤認して買収処分がなされた場合に、抽象的一般的にかようなかしによつては買収処分は取消し得べきに止まり、無効となることはないと解することは相当ではく、このような場合でも、具体的事案においてそのかしが明白な場合には買収処分は無効となると解すべきであるから、これを本件について検べて見る。

前出甲第三号証の一、二成立に争のない甲第四証の一、二及び当審における被控訴人団野まん本人尋問の結果によれば本件宅地六十八坪はもと控訴人の亡父大塚辰之助が昭和十一年十月一日被控訴人より賃借して地上に居宅を建設所有していたところ、昭和二十一年五月二十日辰之助死亡し、養子大塚伸三郎において家督相続による右地上建物を取得し、同時にその敷地に対する賃貸借関係を承継したことが認められる。しかしながら当審における控訴人大塚辰男本人尋問の結果によれば、大塚伸三郎は昭和二十一年四月頃復員して後は東京都内に職を得て通勤し、農業を営んだことなく、父辰之助死亡後は家業の農業を専ら控訴人犬塚辰男に一任し、昭和二十三年四月妻帯別居するとき、本件宅地上の居宅を敷地の賃借権とともに右控訴人に譲渡し(ただしその登記は保存登記ともに昭和二十四年四月九日になされていることが成立に争のない乙第十二号証により明らかである)右宅地は専ら控訴人大塚辰男において農業経営及び居住のために使用して来たことが認められ、これに対し被控訴人夫婦から特段の異議があつたことも認められないから、かりに控訴人大塚辰男において本件宅地買収の時期においてはその賃借権の譲受についてまだ被控訴人の承諾を得ていなかつたとしても、この点のかしは明白なものとはいい難く、その違法は単に買収処分の取消事由となることがあるに止まりこれがため右買収処分が無効となるものではない。従つてこの点に関する被控訴人の主張は採用できない。

(ロ)(控訴人大塚辰男の主たる所得は農業以外の職業から得られていたか)被控訴人は控訴人大塚辰男の主たる所得が農業以外の職業から得られているから同人には買収申請の資格がないと主張するところ、宅地の賃借権者並びにその同居の親族及びその配偶者の主たる所得が農業以外の職業から得られているときは、旧自作農創設特別措置法第十五条の規定による買収申請をなす資格のないことは同条第二項の規定するところであるが右規定は同条第一項の規定に対する除外規定であるから、その適用を主張する被控訴人にこれが挙証の責任があるところ、本件においては、訴外大塚伸三郎が控訴人大塚辰男の同居の親族に当らないことは前認定事実から明らかであり双方提出のすべての証拠によつても、控訴人大塚辰男につぎこの点に関する被控訴人主張のような事実のあることを認めるに足りないから被控訴人の右抗弁は採用しない。

第四(買収処分は目的たる土地を特定しないままでなされたか)

被控訴人は更に、右買収処分における買収の目的たる土地は一筆の土地の一部であるのにかかわらず、買収令書には、これを表示するに坪数だけを示し、その範囲を具体的に示していないから、買収の目的物が特定されないため無効であると主張するので考えて見る。右買収処分において買収の目的たる土地を、請求の趣旨記載の(イ)の宅地については「市川市須和田二六三ノ三宅地五三坪五合」と同(ロ)の宅地については[市川市須和田二六三ノ三宅地四坪二五」と表示したに止まること及び当時市川市須和田二六三番の三の宅地は百二十九坪であつて未だ分筆されず右買収処分は右一筆の土地の一部についてなされたものであることは、前示甲第一号証の一、二乙第九号証、同第十号証の二、成立に争のない甲第二号証の一、二及び当審証人花沢竹次郎同松丸正の各証言によりこれを認めることができる。しかしながら右各証拠と前顕甲第三号証の一、二、乙第一号証、同第八号証の一、二並びに当審証人矢部実智子、同団野忠七郎の各証言及び当審における控訴人大塚辰男本人尋問の結果を総合すれば昭和二十四年三月二日を買収の時期と定め、買収の目的を市川市須和田二六三番の三宅地五三坪五と表示してなされた本件買収処分における目的土地は、前認定のように控訴人大塚辰男の亡父大塚辰之助時代からの賃借地に当る同控訴人の居住建物の敷地六十八坪のうち、南側被控訴人方居住との境界線を成す生垣の線より北方九尺を隔ててこれと並行に右建物敷地内に引いた線を南限とし、他の三方向も右控訴人居宅使用のための賃借敷地として明らかに他の土地と区別できる土地であつて、しかも前認定のとおり被控訴人の夫団野忠七郎、控訴人大塚辰男及び関係農地委員会等の間の互譲調停により、右の範囲内だけを買収の目的地とすることに協定が成立し、これによつてその範囲の確定した宅地であり、当時においては分筆前であつたけれども本件買収処分における右宅地五三坪五なる右表示によりその面積の点において買収物件と正確に一致するか否かを問わず、右特定した買収物件を指す趣旨が客観的に明確であつたものと認められるから、本件買収処分には被控訴人主張のような無効原因は存しない。

なお、本件宅地については(イ)同所二百六十三番の三宅地五三坪五につき昭和二十四年三月二日を買収の時期と定めた買収処分、及び(ロ)同所二百六十三番の三宅地四坪二五につき同年七月二日を買収の時期と定めた買収処分の二個の処分が行われていることは、当事者間に争のないところであるけれども、右(イ)の買収処分は前説示のように関係者間の協定に基き買収すべき宅地と定められた宅地全部を目的とするものであつたところ、後に至り、右買収処分における目的土地の面積の表示は、測量者が買収宅地のうち、被控訴人方居宅敷地との境界とは関係のないその反対側に在る北側生垣の地盤の部分四坪二五を誤つて計算に入れなかつたため、真実に買収された宅地の面積を正確に表示していないことが判明したので、これを是正するため関係行政庁において念のため右四坪二五につき形式上更に買収計画を樹立し、買収の時期を昭和二十四年七月二日と定めて買収処分をしたけれども、これは単に形式上かような体裁を整えたに止まり、前に買収しなかつた宅地を更に改めて買収したものではないことが認められるから、右のような再度の買収の形式があることによつて第一回の買収処分の目的たる土地が特定していなかつたということもできない。

なお又、前掲各証拠によれば、右買収宅地については千葉県知事から控訴人大塚辰男に対する売渡通知書が発せられその後登記に際しては、右手続の形式上の経過に即し、同所二百六十三番の三宅地百二十九坪のうちから、買収宅地のうち北側生垣の地盤の部分を除いたものを同番地の四宅地五十三坪五合、石生垣の地盤に当る部分を同番地の五宅地四坪二合五勺として夫々分筆の上買収及び売渡の登記がなされ、現在においても買収及び売渡の土地の範囲につきなんらの疑義をも残していないことが認められるから、右買収処分を以て目的物の特定ができないと主張する余地のないことが明らかである。従つて右買収処分が処分の対象の特定を欠くため無効であるとの被控訴人の主張は採用できない。

以上説示したとおり被控訴人の主張はいずれも理由がなく、本件宅地買収処分には無効原因となるべきかしがないから右処分は有効であり、従つてこれに基く売渡処分も有効であるからこれらの処分の無効であることを前提としてこれらに基く各売渡及び買収による所有権取得登記の抹消登記手続を求める被控訴人の請求は理由がなく控訴人大塚辰男に対する右抹消登記手競の請求を認容した原判決は失当である。一おつて原判決を取消し、被控訴人の請求はすべて棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十六条第八十九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤直一 坂本謁夫 小沢文雄)

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